クリステンセンからの手紙

クリステンセンからの手紙

今年(2020年)1月23日に亡くなられたクレイトン・クリステンセン教授。名著「イノベーションのジレンマ」は、マーケティングに携わる方であれば知らない人はいないだろう。このクリステンセンによって2011年に日本に向けて書かれた手紙がある。私はこの手紙がスティーブ・ジョブズの「米スタンフォード大卒業式(2005年6月)」のスピーチに並んで好きだ。生きていくうえで忘れずに立ち戻りたい内容となっているのでここに残しておきたい。

以下、引用文。


クリステンセン教授からの手紙
「人生のジレンマ」を乗り越えるために
水野 博泰

(訳・構成=ニューヨーク支局 水野 博泰)

 今回の自然災害と、その結果として引き起こされた福島第1原子力発電所のトラブルによって、肉体的、精神的、経済的に苦しんでいる日本の皆さんに心からお見舞い申し上げます。世界の関心の中心はほかの出来事に移りつつあったとしても、日本の多くの人々が大災害の結果として経験している「喪失」に終わりはなく、今でも続いていることを私は知っています。世界中の多くの人々が、日本の人たちが苦しんでいることを心から悲しみ、できる限りの支援をしたいと願っています。

 企業経営や行政の舵取りという観点からは、この危機に対して日本がどのようなステップを踏んで対応すべきかという点について多くの課題があります。何を再建すべきなのか。どのぐらいの期間がかかるのか。同じような自然災害の可能性に対してほかの国々はどのような備えればよいのか。困難で複雑な問題です。政府、産業界、そして個々人が解決のために懸命に取り組まなければなりません。

 実は、私は日本の皆さんと同じ体験をしました。幸せな人生を過ごしていたある日突然、それを一変させるような出来事が起こり、不幸のどん底に突き落とされたのです。私には何の落ち度もないというのにです。その経験を踏まえて、いくつか個人的なアドバイスをさせていただきたいと思います。今回の大災害で最も辛いことの1つは、何の前触れもなく、普通の人たちが被害を受けたことです。まじめに仕事をして、幸せに暮らしていた人々が、何も悪いことはしていないのに、ある日突然、人生を暗転させる出来事に遭遇していたということです。

 過去3年間というもの、私はいくつもの病気に悩まされてきました。それは私個人にとっても、私の家族にとっても大変な問題でした。3年少し前、私は突然、全く予期しない心臓発作に襲われました。その前に健康診断を受けていましたが、医師の診断では心臓発作を暗示するような兆候は全くありませんでした。実際、心臓発作リスクを示す指標はすべて平均より低いくらいでした。心臓発作を起こした時、医師は私の心臓動脈のある部分が完全に閉塞していたのを見つけました。普通は助からないケースだそうです。幸運なことに、私が担ぎ込まれた病院の医者が迅速に対応してくれたおかげで閉塞物を取り除くことができ、なんとか命を取り留めることができました。

 2年後の同じ季節に、私の主治医は私の体内に異様な形態のガンを発見しました。小胞状リンパ腫と呼ばれるものでした。このガンはとても進行が速く、見つかった時には、数カ所に転移していていくつもの大きな腫瘍があったのです。腹部にあったものは、なんとアメフトのボールぐらいの大きさがあったのです。主治医は化学療法を選択し、ガンを徹底的に攻撃しました。医師団の技術の高さと懸命の
努力、そして彼らが私に与えた薬のおかげで、私はそのガンに打ち勝つことができました。小康状態を保っているように思えました。

 化学療法をやめた直後のことです。教会での日曜礼拝の際に今度は脳卒中で倒れました。たまたまマサチューセッツ総合病院に近かったため、迅速に医学的対処をしてもらうことができ、私の脳への障害を最小限に抑えることができました。ただし、医師たちの迅速さにもかかわらず、いくつかの後遺症が残ってしまいました。脳卒中によって影響を受けた脳の部位は、コミュニケーションにかかわる能力
をコントロールする部分でした。私は今でも身体を自由に動かすことができます
が、私のボキャブラリー(語彙)が頭の中でめちゃくちゃに混ぜ返されてしまったようで、時々、単語を思いだそうとしてもできないことがあるのです。ただ、時間はかかりますが、私は完全に回復することについて、今は楽観的に考えています。

 このような私の個人的な経験は、日本の多くの皆さんが経験している苦しみや悲しみに比べれば、はるかに小さいことに過ぎません。それをあえて皆さんに告白したのは、日本の皆さんが感じていることと私が感じてきたことには、共通したものがあると思ったからです。私は健康な生活を営むために最善を尽くしてきました。食事に気を遣い、適度な運動を心がけ、健康診断も定期的に受けてきまし
た。しかし、そうした努力は結果的に何の役にも立たなかったではないかと、悔しい思いでいっぱいになりました。

 最初の心臓発作からは順調に回復しましたが、ガンははるかに大変でした。脳卒中は私にとって最も過酷なものでした。私は大学教授ですから、仕事の大半は学生と対話することにあります。あるいは研究成果を書いて公に発表することです。脳卒中によって、まさに、そうした私の職務に最も重要な脳の部位を損傷することになってしまいました。

ビジネススクールの教授としては致命的です。対話能力を取り戻そうと頑張れば頑張るほどフラストレーションが高まり、私は内に籠もるようになり、自分自身と格闘するようになりました。なぜ、こんな辛苦を味わわなければならないのか。私がどんな悪いことをしたというのか。自分自身に次々に降ってきた不運と、遅々として進まない回復状況を考えれば考えるほど、私はますます腹立たしくなり、絶望的な気持ちになり、うつ病のような状態に陥ってしまいました。私のこれまでの人生で想像もしなかったことです。

しかし、その苦しみの末に、私は悟ったのです。

 自分自身の不運と抱えてしまった問題ばかり考えていて、私はほかの人たちを助けたり奉仕することについて考えるのをすっかり忘れていました。人々の生活を向上するために何ができるのかを考えるのではなく、私は自分の問題、自分の欲求、自分にとって必要なことばかりを考えていたのです。私の不幸の原因は自分自身のそうした自己中心的な考え方なのであって、自分自身を“復興”するプロセスを通して、幸福とは私利、私欲、私心を捨てることによって初めて手に入れられる心の安息なのだと気づいたのです。それを実行することはとても難しいことです。人は、自分は他人とは違う特別な存在なのだと考えるものです。

 人生は酌量すべき情状の連続であり、自分本位になって自分の欲求や要求にこだわることはいつも正当化されます。しかし、幸福とは人間同士の奉仕の中にあるという真実は揺るぎません。個々人の置かれた状況──快適なものであろうと困難に満ちていようと──の特異性に依存することではないのです。

 私たちは、人生において他人に尽くすことを後回しにすることができると考えがちですが、それは多くの人が犯す間違いです。そんなにうまくいかないのです。私が学生の時の同級生がそうでした。大学教授として教えている教え子たちもそうです。彼らはこんなふうに考えます。しばらくの間は自分自身の成功を目指してひたすら頑張ろう。「十分な財を成した」後に人生のギアチェンジをして、地元や家族に恩返しをするモードに入ろう──と。しかし、そういうことは(やろうとしたとし
ても)ほとんどの場合うまくいきません。

 もっとお金を稼ぎたい、もっと事業を拡大したい、もっと製品を売りたい──。そうした欲求には終わりがありません。あなたの人生において最も最優先すべきだと信じていることがあるのに後回しにすることを1度でもやってしまうと、物事の優先順位を正しく戻すことはとても難しくなってしまいます。「これが最後」とずるずると同じことを繰り返してしまうのが人間の性(さが)なのです。

 しかも、最も奉仕すべき人たち──それは家族です──は、常に成長し、常に変わっていきます。人生の終わり頃になって家族を大切にしようと決心しても、もう遅いのです。悲しいことに、ここぞというチャンスの多くはもはや過去のものとなっていて取り戻すことはできません。

 いくつか助言させてください。毎日1つ、自分自身に対して約束をしてください。人のために尽くすことに迷わないことを。家族や友人、ご近所、見知らぬ人に対してさえ、彼らが何を必要としているのかを理解しようと努力することを。私は毎日、誰かのために何をしてあげようかという目標を決めています。肉体的、精神的、感情的、宗教的に誰が何を必要としているのかを考えてください。必要なもの
が分からなければ助けようがありません。他人のことを考えることで、自分のことが見えてきます。たとえ、あなたの境遇が困難を極めていたとしても、あなたよりももっと苦しんでいる人がいます。あなたが手を差し伸べることによって救われる人が、この世界のどこかにいるのです。他人のことを慮ることによって、自分自身が多くの人たちに祝福されてきたこと、そのことを自分は見過ごしてきたことに気づくかもしれません。その気づきが、あなたの心の負担を軽くします。

 最初に述べたように、日本で起きた悲劇に対してどのように対応するのかについては、その現実に直面している日本の人たちが考えて決めるのが一番良いと思います。日本を直撃した悲惨な出来事の数々から、世界中の人々は多くのことを学ばせてもらいます。人間の生命は壊れやすく、現世の命ははかなく、未来に何が待ち受けているのか、いつ終わりを迎えるのかを知るすべもありません。人生で最も大切なことを決して後回しにしてはいけません。「いつの日にか」という日が必ず訪れる保証はどこにもないのです。惜しむことなく助け合い、新しい社会を築いていこうではありませんか。

2011年5月28日
クレイトン・クリステンセン
ハーバード大学ビジネススクール教授

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